クリスチャンの体験談ーあかし
クリスチャン(イエス・キリストを信じる者)になるきっかけは、みんながみんな同じではなく、人それぞれです。悩みがあって、という人もあれば、悩みなどは特になく、何となく行ってみた、あるいは最初は誘われて義理で、ということもあります。どのような形であっても、大切なのはイエス・キリストに出会うということで、その出会いが私たちの心と生涯を変えるのです。
フェロシップ礼拝や福音の夕べでは、教会メンバーがどのようにしてイエス・キリストと出会い、クリスチャンになったか、その体験談を語っています。その中の一部を文書にしました。
キリストと私の出会い |
心の中のドロドロが 消えた奇跡 |
私は中学1年生の時、友達に誘われて初めて教会に来ました。教会に来るにあたっては、自分の中にいくつかの布石があったように思います。 一つは聖書の言葉でした。小学校のころ、たまたま家にあった「狭き門」という本を読みました。表紙を開いてみると、そこに「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその道は広く、これより入る者多し。されどいのちに至る門は狭く、その道は細く、これを見出す者少なし。さらば狭き門より入れ。」と書かれていました。後から、それが聖書の言葉だと知りました。思い返してみると、格言だったり、本の一部であったり、聖書って素敵な言葉がたくさんある本だな、という印象がありました。 二つ目は、中学に入って思春期になり、いろんなことを考えるようになったことです。「死ぬってどういうことなんだろう。」「生きるってどういう意味があるんだろう」
考えてもわからないので、図書館の本を読んだりしましたが、答えは見つからず、「そうやって生きて行くんだろう。」そんな思いを持っていました。そんな時、友達が教会に誘ってくれたのです。その友達がとても良い人たちだったこともあり、教会に何かヒントがあるかもしれないと思って、私も通うようになりました。教会学校では子ども向けの聖書のお話を聞きましたが、先生が上手に話をしてくださったので、とても面白く聞きました。 でも、わからないこともいくつかありました。その一つは奇跡の話でした。昔話には奇跡がたくさんあるので、昔話として聞く分には楽しいのですが、教会では、大の大人がその軌跡を真面目に信じていました。「どうしてこんなこと信じているの?」とまずびっくりしました。何かの本に、「イエスさまが水の上を歩いた話は、実は景色が重なって、まるで水の上を歩いたかのように見えたんだ。」という解説があったので、「あ! そうか。」と思い、その時の先生に聞いてみました。でも先生はバッサリと、「そうではなく、イエスさまは水の上を歩いだんですよ。」と言われました。これは不思議なことでした。 二つ目は、イエスさまが今も生きていて今の私と関係がある、ということ。昔はみんなが偉人伝をよく読み、家にも偉人伝がありましたが、その中の一冊がイエス・キリストでした。アレキサンダー大王とか聖徳太子とか、もちろん過去の人物で、その中の一冊を読むという感覚でした。イエスさまが生きていて今の私と関係がある、ということは、理解することができませんでした。 よくわかることもありました。それは、「あなたの心は汚れていませんか? 汚くありませんか?」と語られる罪のことでした。嘘を尽くし、妬むし、それを表に出すわけにはいかないので、一生懸命コントロールしようとしていたと思います。大人になるということは、心の中をコントロールすることだと思っていました。嫌いな人にでも、にこやかに対応できるようにしたいと思っていました。 転機は中学3年生の12月でした。お祈りしている最中に、ふたをしていた私の心の中の汚いものが、発酵しているように、ぐつぐつ出てきて、どうしようもなくなってしまいました。その時、教会学校で聞いていたイエスさまの十字架の話が、心の中に入ってきました。十字架を信じて、自分ではどうしようもない汚い思いをゆだねてみることにしました。「私の罪のために、イエスさまが十字架にかかってくださったことを信じます。」とお祈りしました。本当に不思議なのですが、ドロドロしたものが、スッと消えてなくなりました。 「あ! これが救われるということか。」私にとっての小さな奇跡が起きました。 数日後、牧師先生にそのことを話しました。先生からコリント人への手紙第二5章17節「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」という聖書のみことばをいただきました。ほんとうに汚いものがすべて取り去られて、新しくなったということが、救いの体験になりました。 困った時にも、救われた時のように、お祈りできるということが、クリスチャンの大きな特権だと思います。 |
子供を事故で失い、 自分の無力さ、弱さと 向き合って |
私が教会に来るようになったきっかけは、子どもを交通事故で亡くしたことです。8歳の長男が自転車に乗っていてダンプと衝突する事故に遭い、脳挫傷でほぼ即死状態でした。私の母がこちらの教会員だった関係で、佐藤町の教会で葬式を挙げてもらいました。 そのころの日本は高度成長時代で、皆どんどん仕事をして稼げば儲かるようながちゃがちゃした中で、私もそれにかこつけて家庭を顧みず、帰りは12時とか、土日は家にいないような、母子家庭状態のような好き勝手なことをしていたサラリーマンでした。 長男の事故死があって、定時に帰るようになりましたが、家の中で居場所がなく、土日の夕方になるとそわそわして、家の中をうろうろしていました。その時に、お袋と家内が「教会で伝道会をやっているから、7時ごろ行ってきたら」と言ったんです。
私はとにかく出かけたかったので、パチンコに行ってきたら?と言われたらパチンコに行ったし、映画に行ったら?と言われたら映画に行ったんですが、たまたま教会でした。 教会では伝道会をやっていました。初めてでしたが、世の中にはこんなところがあるんだなぁ~と思いました。その頃は1~2時間つぶすにもお金がかかりましたが、ここは無料で、熱弁をふるっている牧師先生はなかなかいいことを言うし、讃美歌もきれいだし、いいところを見つけたなぁ~と、そんな気持ちで聞いていました。 そこで初めて、神・罪・救い、聖書のこと、十字架のこと、キリストのことを聞きました。そして、ここには何かあると直感的に感じました。そしてしばらくしたある時、牧師先生が「Hさん、信じませんか?」と言ってくれたのです。 私はその頃、自分の無力さ、弱さを痛感していたので、「先生、信仰を持てば強くなりますか?」と聞くと、「Hさん、強くなりますよ。」と言ってくれました。この人は噓をつく人ではないと思ったので、「信じます」と言って信じることにしました。 その時、今までの罪を悔い改めて、と言われたので、今までの罪をノートに書き出して、悔い改めました。いちばんの罪は、神さまがおられると知らないながらも、無視して、計算に入れない自分中心の生涯を送っていたことだったわけですね。その罪のために、キリストが十字架にかかって死んでくださったことをその時伺い、信じました。 その時はうれしかったです。車で天竜川の橋をぶっ飛ばして、家に帰ったことを今でもよく覚えています。 そういうわけで私は何も知らずに飛び込んでしまったわけです。ほとんど聖書のことも開けと言われても開けない知らない状態でしたが、こういうものは、見たり聞いたり学んだりしててもわからない、暗闇のプールに飛び込むみたいに勇気がいりましたけど、飛び込んでしまいました。それで、救いというのは自分の独りよがりではないかとか、思い込みではないかと思って、いろんな人の話を聞いたり、牧師の話を聞いたり、本を読んだり、聖書を読んだりしましたが、飛び込んだことはあながち間違ってはいないなぁ、この経験はみんな一緒なんだなぁ、とそう思いました。それで確信を持ちました。 キリストの救いというのは、人それぞれあるんです。森永太一郎さんには、森永太一郎さんのような救いがあるし、元日銀の早見総裁には早見総裁のような救いがある。日野原重明さんには日野原重明さんのような救いがある。聖隷福祉事業団を造った長谷川保さんには、長谷川保さんのような救いがある。私のような凡蔵には、このような救いがある。人それぞれあるんだなと思いました。 歩み始めるときに聖霊が伴ってくれますから、もう一人の助け主、聖霊がいっしょに歩んでくれますよ、ということを教えられました。ですから何も心配することはないです。私も年を取りましたが、死の扉を開けるときも、キリストという方はいっしょにそこを通ってくださる。そういう確信があります。ですから何も恐れることはありません。大丈夫なので安心していただければいいと思っております。 |
空しさの中で見つけた たった一つの道 |
私が生まれ育った家庭はクリスチャンホームではありませんでしたが、家のすぐ近くにキリスト教会があったので、小学校に上がるころ、教会学校に行くようになりました。そして初めてイエス様のお話を聞きました。教会学校はとても楽しく、色々な行事にもいつも積極的に参加していましたが、学年が上がるにつれて自分の用事が増えて行き、しだいに教会から離れていきました。そしていつの間にか、教会やイエス様のことは思い出すこともなくなり、時間が過ぎて行きました。 20代のころ、私は自分の生き方に自信をなくしていました。それでこれから生きていくための支えとなるもの、何か確かなもの、真理とか真実とかそういうものを探したことがありました。でも自分で一生懸命探しても見つけることはできず、30歳のころもう一度探しましたが、やはり見つけることができませんでした。 私は自分の生き方にまったく自信を持てずにいましたが、確かなものがこの世の中にないのであれば、自分なりに正しいと思う道を進むしかないのだ、と思いました。
心に空しさを感じながらも日々の暮らしを続けていたある日、私は知り合って間もない女性と話をしていました。私が「人それぞれにいろいろな道があるけれど、精一杯生きていれば到達点は同じなのかな・・」と言うと、彼女は「ちがうよ。道はいろいろあるわけじゃなくて、一つしかないんだよ。」と言いました。 道は一つ? 道が一つってどういうことだろうと思い、私はそれを知りたくてたまりませんでした。そして数日後、私は彼女を通して紹介された牧師から福音を聞きました。神様が天地を創造されたこと、人間もすべての生き物も神様が創造されたこと、人間が罪を犯して神様から離れてしまったので、神様からの栄誉を受けられずにいること、罪の奴隷の状態であること、それらすべての解決のために、イエス様が来てくださったこと等々。 神というものは八百万の神々で、全く実体のないものだと思っていた私は、現実に本当の神様がこの世におられる、ということはすぐには信じがたく、しかし、もし本当に神様がいてくださるならどんなにいいだろうと思いました。八百万の神ではなく、唯一の神様。でも・・と疑い迷っている私に牧師は聖書を開き、みことばを読んでくださいました。 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14章6節・新共同訳) 私が探していた真理はここにあったんだ、真理ってイエス様だったんだ、イエス様が父なる神様への道なんだ、と私は幼い頃すでにイエス様にお会いしていたことを思い出していました。そしてこのみことばを信じてみたいと思いました。その思いを牧師に伝え、祈りを導いていただいて、神様に背を向けていたことをお詫びし、イエス様を受け入れて救われました。
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ラジオから始まった イエスさまへの導き |
私とキリスト教との出会いは、車のラジオから始まりました。その頃詩を作ったり、スケッチをしたりするのが好きだった私は、休みにはぶらりと車で出かけ、気に入った所があると、立ち止まって夢中で筆を動かしていました。そんなある日、私の耳に留まったのは、「福音の時間」というラジオ番組でした。人類の滅亡、日本沈没、ノストラダムスの大予言、など暗い話題がにぎわう時だったので、ラジオ牧師の先生が、世界の終わりと、イエス・キリストの救いについて語っていました。多くの偽預言者、週末のスターたちが現れる。また、多くの人々の愛が冷たくなっていく。しかしここに、永遠の愛をもって私はあなたを愛した。と言われる方がいる。あなたのすべての罪をあがない、あなたを愛して十字架の上に死んでくださったキリストが、あなたを待っています。キリストはあなたを救うことができるのです。 まわりの人々を見ながら、自分も年を取ると、あの人たちみたいに平凡でつまらない人生を送るのか、と失望していた私にとって、この言葉は心の内側を揺さぶる風、太陽の陽射しで、あたためられた空気が山の斜面をかけ上がってくるような息吹を感じました。ラジオと私のつながりは、1年くらい続いたと思います。
しかし街中で、ある宗教の人に誘われて伝道所に行ったことから、逆に聖書からもラジオからも遠ざかる結果になってしまいました。伝道所で語る12使徒の話が、少しも心にインパクトを与えてくれなかったからです。それに加えて、「早く長老になれるように、がんばってください」との不思議な励ましが、何か奇妙な世界に感じたからです。 心が渇いたまま、いつの間にかあのラジオのメッセージが忘れ去られようとしていた時、私の脳裏に突然、キリスト教の看板が浮かび上がりました。そうだ、以前通ったあの道にキリスト教の看板があった、そう思い出した時、私は心せきたてられるような思いに駆られました。明日、仕事の帰りにその教会に行こう、と決心しました。それは24歳の時、クリスマスのすぐ前でした。 12月24日(土)日没後の暗い道を行ったり来たりして訪ね当てたのが、インマヌエル浜松キリスト教会でした。教会で集会に出席させていただいているうちに、自分の内にあるのは正しい善を行う心ではなく、自己中心な心、罪に汚れている自分にちっとも気づいていない愚かな者であることを悟らせていただきました。ふるいにかければいつまでも埃が落ちてくるように出てくる私の罪。一か月後、イエス様の前で自分の罪を告白して、救いの信仰に立たせていただきました。 聖書のことば「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」新約聖書コリント人への手紙第二5章17節 「幸いなことよ あなたが選び 近寄せられた人 あなたの大庭に住むその人は。私たちは あなたの家の良いもの あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。」旧約聖書詩篇65篇4節 信じてからずっと迷いやすい私の心の支えであった御言葉。これからも私の中で点滅をくり返してくれるものと思っています。私がイエスさまを探したのではなく、イエス様が私を選んで導いてくださった。だから今こうしてここでイエス様の証しができることを、今も感謝しています。
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神さまの計画の中で 生きる |
私は、キリスト教については実は子どものころから縁がありました。近所のおばちゃんが、終ったらお菓子をあげると言うので、お菓子につられて教会学校に通っていました。小学校一年生からちょっとだけ行っていましたが、お菓子をいらなくなってから、行かなくなってしまいました。 大学はキリスト系の学校に進学しました。一応真面目に授業に出てレポートを書き、単位をもらい、A評価をもらいまいした。ですから、一応頭ではキリスト教のことは理解していたつもりでした。社会科を教えているので、社会関係も好きなこともあったと思うのですが、人民のことや歴史的なエピソードにも興味がありました。今思うと本当に頭でっかちで、まことに恥ずかしいことですが…そんなことです。 幸せなことに、私が最初に勤めた中学校の二年目に、職員室の隣の席に同僚がいまして、しきりに教会に行くことを勧めてくれました。それが今の嫁さんですが、そんなわけで教会に通うことになりました。
頭でっかちな者ですから、言っていることの知識的なこととか、ふ~んというところがありましたが、やっぱり自分がキリスト教の神を信じるまでには至らなかったとおぼろげながら思っています。 ただやっぱり何回か行っているうちに、自分の教員としての資質と関係があると思いますが、それまで割と、のほほんと生活を送ってきたためか、悩みとか全くと言っていいほどなかったのですが、果たして「こういう教え方でいいのかな、こんなことやったけどこれでいいのかな」と常々思うようになりました。 そんな中、彼女と一緒に浜名湖聖会に参加しました。1987年8月、そこで初めて知識、頭じゃなくて、心で感じる者なんだということを思い知らされました。ルカの福音書の中のほうとう息子の話を聞いて、自分でも飛び込んで行かなければ駄目だ、水際でバシャバシャしていては駄目だ、大海に出なければ駄目だ、思い切りが必要だ、と示され、神さまにゆだねてみようという気持ちに初めてなりました。その年の11月にイエス様を信じて救われました。 神様を信じてみると、自分が思うようにいかなかったこととか、悩みとかすべて神様が事前に計画してくださったことで、自分は神様の計画にしたがって生きて行けばいいんだと、そういう思いで行くとすごく気持ちが楽になって、その後、のほほんと30年間過ごしてきました。 いつも困った時の神頼みの生活を送っています。神さまがいつもそばにいてくださると信じて過ごしています。自分で何かこれでいいのか、と迷った時も、「神様これでいいですか」と祈り、自分に不安がある時でも、神さまが常に傍にいてくださるんだから大丈夫だと、信じて毎日生徒と奮闘しています。立場上、学校の中で何かあったら真っ先に僕が行かなければいけないものですから、神様行ってきました。という具合で言ってます。教員生活の残りも、その後も、神さまが傍にいて下さることを信じて生きていきます。
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人生そのものが 新しく |
私は昭和36年6月19日、20日、21日に特別伝道会がありまして、その時に初めて教会に来ました。当時の教会は普通の家を7世帯で借りており、教会はそのうち10畳二間の部屋を借りて集会をしていました。19日、20日が岩城先生、21日が川端先生がメッセージを語られました。特に川端先生はものすごく張り切って活発な先生で、説教に吸い込まれそうな感じでした。長い説教でしたが、あまり長く感じなかったです。もう終わりなの、もっと聞いていたいと思うような、上手にお話される先生でした。 その時、罪、罪、と語られました。「罪を持っているままでは、本当の幸せな人生は得られませんよ。」と言うことを聞かされました。罪って何だろうと、わからなかったです。それ以前の自分は、「何のために生まれて来たのか。」とか、「仕事をしている時、毎日毎日繰り返してこのままでいいのだろうか、何のために仕事をしているのか。いずれ死ぬのではないか。自分は死んだらどうなるんだろうか。」そんなことを考えていました。死を恐れておりました。死ぬのは怖いと思っていました。
そんなことを思って生きてきた私に、川端先生は悔い改め、悔い改め、と語られました。ご飯の食い改めではないんですよ、と言われました。そんなことを笑わせながらよく言っておりました。罪を犯した意識はないのですが、それは法律上の罪ということなのですが、それではなく、さらに掘り下げていった自分の中にひそむ罪と言うことがわかりました。人間関係の中で、人の悪口を言ったり、嘘を言ったり、また憎んだり、ねたんだり、様々な事があります。人を憎いと思い、死んでしまったよいのにと思うことが、内面的な罪であると聞かされました。 その時21日の日、伝道会が終わった夜9時半頃、罪の悔い改めをしました。今までの思い出す罪(人と喧嘩したとか悪口を言ったとか)全部言い表しました。その時、何とも言えない瞬間的な喜びを得ました。今まで味わったことのない喜びを味わいました。イエス様があなたの罪のために十字架にかかって死んでくれたんですよ。今日から新しい人生が始まるんですよ、と聞かされました。その時、与えられた聖書のお言葉が、「人、もしキリストにあらば新たに造られたる者なり。古きはすでに過ぎ去り、見よ、新しくなりたり」(文語訳) そうだ、今日から新しくなったんだ、今までの人生の引継ぎではない、喜びを感じました。今まで仕事をしていても何か空しさがあったんですが、そんなことは全然なくなって、環境は変わらないのですが、恵みに満たされて心躍るような感じで、教会からスキップしながら帰りました。ふと、今までは漠然と天地、宇宙はあるものだと思っていましたが、空気とか水とか太陽、月、全部神さまが造りなさったと、そんな果てしなく大きな天地宇宙を神様が造りなさったことを思いました。その時、罪を赦されたことをつくづく喜んだことでございます。その時、「イエス様を信じる者は永遠の命が与えられますよ」と聞いて、「永遠の命って何だろう」と思いましたが、「たましいが死んでもずっと生きることなんですよ。」とお話されて、「欲しい」と思いました。 70~80年、もっと早く亡くなる人もありますし、100年まで生きる人もいますけれども、いずれ死んでいくんだ、永遠なら永いんだ、ずっと果てしないんだ、やっぱり永遠の命がほしいと思いました。以前は毎日悩んでいたことが、「何でこんなに悩んでいたのか」わからなかったですね。しかし、イエス様を信じてから、喜びがあると感じています。教会に来てから私は180度変えられました。教会の礼拝、祈祷会、伝道会に出ています。以前は日曜日の半日は寝ていて、朝と昼とご飯を一緒に食べて、街でもぶらついて、映画でも見て、ビールでも飲んだりして帰る。そんな感じでした。「また明日仕事か」というイヤな思いで過ごしていました。イエス様を信じてからは、明日は仕事なんだと喜びに満たされて歩んでいます。
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